疎外された人のクリスマス
羊飼いたちは、「起こった出来事」を見るためにベツレヘムに行った。起こった出来事とは、一人の幼子供の誕生でした。 貧しい幼子の誕生は何も特別なことではなく目に留まらない小さなことです。 恐らく、羊飼いのような貧しく、疎外されて虐げられている者にしか、その出来事を見る恵みが与えられないのかもしれません。 権力者はそれに目を留めようともしません。
“起こった出来事”を見たいならば、 迷いや困難、無力さを味わい倒れそうにたっている人の側にいて、一緒にそれを分かち合うはずです。そうすれば、神様は、“起こっている出来事”を見せてくださり、その出来事の意味を分からせてくださるのです。
クリスマスになるとブラザー・ベットから聞いたクリスマス・イヴの刑務所での話しを思い出します。「今夜は、クリスマス・イヴ…。 刑務所中に、楽しい自由な歌は響きわたっていた。女性の刑務官が歌い、僕たちは拍手をした。クリスマスだから、誰かお生まれになったのかを知っている。この喜びの歌声は、虐げや憎しみのない、涙すらない世界に、私たちが生まれ変わったことを証している。鉄格子の中で愛を歌う若者の顔は驚くべきものである。一生忘れることができない。 私たちを捕まえて責め、裁く人々には、この眺めは不快に思えるだろう。彼らはこの夜の美しさを理解できないから。拷問者は小さい笑顔さえ恐れるのだ。」
より良い世界を望んでおられる限りない自由の神様のごく小さな足跡は、どこにいても見えることができ、助け合うようにと微かな呼び声で私たちにメッセージを送っているのです。権力者には、感知できないほど小さなしるしかもしれません。それを見て喜べる人には、クリスマスがあるのです。