歓迎
数年前、トルコとイランの国境の地域を旅行していました。そこは、クルド人が住んでいるところです。いまは、外国人を人質にするから その地域を訪問することは不可能です。ある日、いつものようにバスが故障したので、一人で散歩に出掛けて遠くからクルド人のキャンプを見て、何でも興味を持つ私は彼らを訪ねた。近づくに従って キャンプの中央で婦人たちが輪になってパンを作っているところだった。私を見つけると婦人たちはびっくりした。互いの言葉が分からなかったから私たちは一言も話すことが出来なかったけれども、婦人たちはこの背の高い白い外国人を座らせ、パンを取、裂いて渡して・・・私たちは共にそれを分かち合った。この暖かいパンを分かち合ったことは まことの一致の行為でした。
私は この場所をアブラハムが、外国人が来るのを見,彼らをテントに迎え入れ 一緒に座ったあの場所の近くに違いないと思った。アブラハムは外国人に祭りを準備してあたかも王のように彼らを扱いました。
よその人を歓迎することは人間のより古典的で大切な行為の一つです。なぜ、これをするのでしょうか。
なぜなら、ある日 あなた自身、よそ者として助けを必要とする人になるかもしれません。砂漠において、よそからくる人は助けが必要です。いつか、砂漠で、あなた自身迷子になるかもしれません・・・? 聖書は言っています。かつて エジプトの地において、お前たちは外国人だったから、お前たちは外国人を迎え入れなさい。
イギリスに有名な歌があります。独りぼっちにならないようによそ者を大切にしなければならないようにと次のように歌っています。
ナチのゲシュタポはユダヤ人を迫害した 私は黙った・
その後、彼らはジプシーを迫害した それも私は黙った・
そうして、その後 彼らは同性愛者を迫害した 私は口閉じたままだった・
それから私を探しにきた時 私のために話す人はいなかった・
もう誰もいなかった。