信濃境だより

 

押田成人(一九六五年三月二五日)

 

 

お彼岸が過ぎました。朝、眼が覚めて、一面に降り積った新雪に驚きの目をみはっても、夕方には殆んどとけてしまうようになりました。月の光りの中を、肩をすぼめずに歩ける夜が増えました。北アルプスも南アルプスも富士山も、まだ真っ白で、見渡す限り青いものは何一つ見えませんが、あちらにもこちらにも山肌が赤く色づいて来たのはからまつの芽立ちです。

数目前、土くづしをしていたら急に雲雀のさえづりを聞きました。崖の下で姿が見えず不思議な気持がして半信半疑でしたが、今日は町からの帰り道、正にそのすがたをさえづりと一緒に見付けました。いろいろの小烏が、聖堂の茅葺屋根のめぐりで鳴いています。時ならぬ訪れがあって村人は摘んだばかりの蕗の蔓を見せてくれます。

昨年の五月、この村の観音堂に居を据えた時、人々は私の正体を怪しみました。

やがて私をお堂の先生と呼ぶようになりましたが教会も建てず、幼稚園もつくらないこのキリスト教の坊さんは、やはり不思議であったようです。

然しこの頃では、根に在る疑いは晴れて、この人は何か善いことの為に来ていて何の利得も目的にはしていず家賃を貰っては不可ないような、そういう人であると思ってくれるようになりました。

村の主催の講演会も始まりましたが、最初、婦人会主催の筈のものが、婦人会に謝礼の予算がないとかで福祉部の主催となりましたが、その内幕を教えられていなかったので、私は予定通り「お姑さんとお嫁さん」の話をしました。結局、おしまいには謝礼を出すことは却って失礼だという意見が皆を押えたようです。

このようなわけで、私達の土地は別荘のためであると思われる心配はなくなりました。毎朝茅葺屋根の新堂で、ミサがあがっていることはまだ誰も知りませんが、自分達のよりよい生活への希望のようにこの土地をながめ始めていることでしょう

 

この土地は誰の土地でもありません。神様の土地なのです。すべての人々の土地なのです。結核患者や、身体障害者達が、白分自身を投げ出すようにして献げられたものと、貧しい人々の献げものによって賄われ、いとなまれ始めた土地です。一つ一つが不思議な歩みでした。今も私の手の中にはお金がありません。然しそれでもこの土地のいとなみは続けられて行くでしょう。

いく粒かの麦は地に落ちましたから。

ここは、弱い者や貧しい者が自分達の手で自給自足し乍ら修道的生活をするところです。弱い者が、依頼心という最大の病気を癒やすところであり、貧しい者が、貧しい心の報酬を受取るところです。そして、思想と宗教の如何を問わず人々が冥想のために、人生の杖を休めることの出来る小さなオアシスとなるべきところです。

昨年の夏、まだ何もない頃、山を越えて秩父の機織の女工さん達のグループが訪れてくれました。私はそれは休暇のピクニツクであろうと思って何も話をしませんでしたら、あとで、そのキリスト教徒でない小さな人々は、巡礼のために来たのだということを知って深く悔みました。

こりずにもう一度杖を曳いて下さればよいと、心から祈っています。

偖、私自身は、もう肺の病から決別し得たと思っておりますが、私が結核患者達に負っている返すことの出来ない負債を、生涯、胸の中に運びつづける身の上だということを、ここで告白しておこうと思います。

        私が重く患っていたのは、十七年前からのことですが、その頃は、薬を充分に使うことが出来ない時代でした。私の特別の地位のために、或はララの薬を都合して貰ったり、普通の人には許し得ない莫大な薬量を使ったりして生きのびました。私は、ストレプトマイシンを使うことが出来ないために死んで行った隣のベットの若い青年のことを、決して一生忘れることはないでしょう。日本で初めて、全肺摘出の手術が行われた頃、医官会議は、私の手術を決定しましたが、私はそれが、召出の喪失を意味することを知っていたので、断りました。そして、隣のベットの若い漁師は同じ手術を受けるべく、手術台で死にました。その数日前、彼が私にしてくれた身の上話を、私は一生忘れることはないでしょう。

一昨年の夏、私は気管支拡張のために肺葉一つだけを摘出して、それで私の病歴には、ケリがついたように思いますが、その術後の避暑のために、富士見高原の小さな病院に来て、長い闘病経験者達からこの種の病人誰しもが一度は夢見ること 「一つの生活共同体」の話を持ち出された時、私は真面目に、その問題に応えなければなりませんでした。

実は今迄に何度もこの種の試みがありました。そしてその度に何年かの苦闘の後に失敗してゆくのを見て参りました。依頼心を心の奥に持つ人々が何人集っても、結局成功しないことを知りました。長期に亘る結核患者達は、再発という不安を運命のように担っていますから、その依頼心を、あながち責めることは出来ませんけれど。…

また、結核患者達や、身体障害者達は、愛情に飢えていることを知っております。それで自らに、ユートピアを夢見るのです。相剋なき兄弟姉妹の世界を夢見ます。然し、そのような夢は最初から危機を孕んでおります。ひずみを持った人間性の現実を無視することは出来ません。それならばいわゆる会福祉施設が、それらの人々を本当に幸福にしてくれるでしょうか。確かに、暫定的解答として、それらは必要で大切でしょう。然し与えられるだけで、囲われた人間というものは、人間としてかたわになるのです。

私の人々の希望に対する応えは、厳しいものでした。先づ、すべてを与えよ、自給自足で修道的生活をせよ、というのでした。固より私は、家庭生活をすべき人々を念頭から去らしめたのではありません。道の順序というものを申したのです。家庭生活をする人々は、社会の中にしっかりと根を下すべきです。小さな集団を作るよりもその方が真実です。そして、それらの根が枯れないために不壊なるものに生かされつながることが必要なのです。そして、すべての人を生かす水を得るためには、先づ泉を得なければなりません。長期療養者や身体障害者の問題は、根本的に人間の問題なのではないでしょうか。

私はここで長期療養者や身体障害者の献げものを、健康者の名に於いて受取ります。そして、健康者の献げものを、病める人々の名に於いて受取ります。ここでは、如何なる意昧に於いても、ひものついた献げものは受取ることは出来ないのです。この土地は神様の土地です。そして、すべての人々のための土地です。苦しむ者、病める者、貧しき者の手の中から、苦汁のように湧いて来たものをけがすことは出来ないのです。

この地区の前の村長の平出さんは私共のこの趣旨に感動して下さいました。そして私共が帰京している問に、お金持達に、値段の如何に拘らず土地の人々の譲り渡さなかったこの土地を、私達に与えるように貧農の地主方を説得して下さいました。

この諏訪地区の神杜の信徒代表の村長さんは白木の十字架の立った時、この境の地が聖化されたと、心から喜んで下さいました。

 

私は今、自然のただずまいをじっと眺めております。それは私の貧しい祈りなのです。

私はここで、何もすることは出来ないでしょう。人々の心から心へ移りゆく火をながめ乍らそれをせめてもの私の贖いと致しましょう。

  •  
  •  

 

1.聖書の新しい窓
2.聖書の世界
3.草案由来
4.慰霊林の由来
5.お水のうた
押田成人の著書

  •  
  •  


ホーム 上へ 押田神父の言 草庵との出会い 草庵生活 草庵を識る

..