慰霊林の由来

動機と杜会的構造-

慰霊林

西欧のキリスト教(ギリシャ文明・ローマ文明の影下に在る所)の土地を歩いて、戦争の跡が多く検証されること、国境が小さい国々に分かれていること一などを目前にすると、人間的意識の中で『守ることの大切さ』が、おのずからに固是するのを感じる。

中近東辺リの十字軍の戦争跡の村々で、その時代、時代の家宝を見せられるとキリスト教時代の宝物はキリスト教の宝物、回教時代の宝物は回教の宝物である。『いわゆる宗教』と『政治的軍事的力』と「財産的力」とがごちやまぜになって一つの寺代の社会を示している。

        このような巡杖の中で、ヨーロッパの色々の聖堂で戦争犠牲者の名をつらねた祈祷の場にも出会ったが、一つ不思議だったことは、戦争の相手国の儀牲者のことが表現されているのに出会ったことがないことである。それは、私には、そこは宗教の場所ではないことの証しであった。

戦後フイリピンに行った時も、台湾や中国に行った時も、私の心が先ず求めたことは、そこの民の怒リ、憎しみとじかに出会うことだった。そこで戦死した友人に出会うことと同時に。

「日本兵が母親から乳のみ児を受け取って天にほうリ上げ、銃剣で突き刺して母親に向かってニヤッと笑った顔は決して忘れられません」というフイリビン婦人の告白に会い、また台湾での講演で原子爆弾の残虐性にふれた時、「日本人はもっと残虐だった」と叫びながら、講演台に走リ寄って来る中国婦人にも出会った。

        日本の高森で無一物の修業の道を歩み始めても、私の祈リの歴史は同じであった。

慰霊林はその道行きの中で、おのずからに生まれたものである。

在る日、私はその慰霊林でフイリピンの婦人に出会った。彼女は号泣していた。彼女は日本人を赦せない思いが余リにも重く続き、そこからとき放たれるため、日本を訪れて、私の霊父たるドイツ人の神父の許に赴いた。そして高森にやって来たのだった。

彼女は私に言った。「今、私は赦せます」

彼女の涙はとどまることを知らなかった。

私も泣いた。

私たちは、同じ一つの限リない洞の中に居た。

慰霊林はこの洞の中で生まれていたのである。

 

高森の慰霊林には

の慰霊碑があリ、奥にはドイツ婦人から贈られた、地球の上に立つ十字架にかけられた幼きイェズスさまをしっかリと抱いているお釈迦さまの御像、そして入口には高森家族の慰霊碑が立っています

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