草案由来

私共の、日本のキリスト者としての、自分の心で神と人との必要を受けとめ、自分の足で土の上を歩む底の新しい道行きのはじまりは、今から三十数年前に遡ります。

「思わなくにめぐりあいつつ 渓流のごと流れゆくべし」という息吹が明確となり、一人の姉妹(....)が この道行きにささげられた最初の知られざる犠牲として 東仙台の病院に息を引きとったのは二十五年程前に在ります。

昭和三十八年夏から秋にかけて、小池医院で 結核療養者の間に おのづからに 一つの円いが生れ、その秋に二人(.......)の洗礼がありましたが、この洗礼の記憶としてこの土地に一本の木を植樹することの提案があり、(旧姓、....)他人の土地への植樹をこころよし とせず、ためしに土地所有の具体的可能性を地もとの人々にたずねたことが、高森入植への道行きの最初の機縁となりました。

...子らの努力と、前境村々長....氏らの協力により、高森入植が実現し重した。

入値初期は、高森観音堂、女子草庵(第一が ..さんの家、第二が...さんの家、第三が...さんの家)の生活が 並行していとなまれました。

最初の年、昭和三十九年には、聖堂と椀庵(司祭庵)が建ちましたが、東京で家をこわして得た材、...氏の薪小屋などを基にして、社会復帰が出来ないでいた結核療養老達(前述の人々に加え、...氏等)が中心にたって 自分達で建てたものであります。

その後、村との関係に於ては 少しづつ、村人の手伝いをすることになり、草庵を訪ねる人々に対しては その人々自ら 少しづつ、衣食住の基本的必要に応えてゆくことになります。初期は、病弱老と学生、若者達が多く、その後働らく人々や外国人も加わり、最近は、宗教者達、修道女達も杖をひくようになり、現在は、性別、年令、社会層、国籍を問わず、あらゆる人々が入れ替えり立ち替り 一つの円いを生きています。数年前、ドイツのレーゲンスブルク(マリア・...)と東京(...)に、昭和四十八年には、伊奈(......)に草庵のいとなみが始まりました。これらの歩みの中に、深みへのまなざしと深みへの歩みが少しづつ現実化し、高森草庵では、前よりもひんぱんに 接心を行うようになりました。これは、窓がひらかれる程、中心が明確化されることが、次第に必要になったためでもありましたし、また同時に、人類の歴史の大きを転換点における、世界の宗教者の必要に 具体的に応えてゆくためでもありました。

現代において、人間の必要は 次第に 一つにしぼられてゆくようであります。

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